古希を前に思う、そして日常。
1 空白の一年を越えて
ふと気がつくと、このブログの更新が止まったまま、季節が流れていました。
前回の投稿から、早いもので1年の歳月が流れたことになります。「最近更新がないけれど、元気でやっているの?」そんな風に案じてくださった読者の皆様、そして音沙汰なしの不義理をしてしまった皆様、本当にごめんなさい。
特別な理由があったわけではないのですが、一度筆を置くと、再び持ち上げるのには少しばかりの勇気とエネルギーが必要だったようです。私は変わらず、元気に、そして少しだけ立ち止まりながら過ごしておりました。
2 息を切らして仰いだ、富士山
この一年、実は意外なほど多忙な日々を送っていました。
先日も、気心の知れた古い友人二人(彼女たちとはもう何十年の付き合いになります)と連れ立って、関東近郊の山へ一泊二日の小旅行に出かけてきました。
標高は600メートルほど。まずはケーブルカーで中腹まで上がり、そこからは自分たちの足で頂上を目指します。「久しぶりだね〜!」このメンバーだと自然と盛り上がります。
「ハア、ハア……」3人ともシニアだな〜。
足元を確かめながら一歩ずつ。中々の坂道でしたが、ようやく辿り着いた頂上で、私たちは言葉を失いました。
目の前に広がっていたのは、雲ひとつない空にそびえ立つ、真っ白に雪を被った美しい富士山の姿でした。
その神々しいまでの佇まいを目にした瞬間、疲れはどこかへ吹き飛びました。「ああ、天気に恵まれたね。やっぱり日本人なんだなあ」と、友人たちと顔を見合わせて笑い合ったものです。
夕食の後、部屋で日本酒をいただきました。盛り上がりすぎて深酒をしたようです。翌朝、頭が少し重いです。
それなのに昼に3人で食べたのはチャーシューがたっぷり乗ったカロリー爆弾のようなラーメンです。普段はあまり食べないメニューです。
「すごい量だな。食べ切れる?」と言い合いながら啜る一杯。
懐かしく、身体の芯まで温めてくれるような感じでした。
3 「五年の歳月」と、友の静かな闘い
その後、別の日に同級生たちとの飲み会、懐かしい会話で少し酔いがまわった頃。いつも物静かな友人Aくんが、ふとした拍子に切り出したのです。
「実は五年前、前立腺がんを患っていたんだ」
皆んなが静まり返りました。結果的に彼は外科手術をせず、放射線治療に専念して完治を目指したそうです。そして五年が経過し、再発の兆候がないという診断を受けたことから、ようやく私たちに話してくれたのでした。
「なぜ、その時に言ってくれなかったんだ! 水臭いじゃないか」
他の友人たちは口々に言い合いましたが、私は昔の彼のことを考えてていました。
私の知るAくんは、自分の内面を安易にさらけ出さず、一人で深く熟慮するタイプです。おそらく、うろたえることなく医師の言葉を噛み締め、淡々と治療の階段を上っていったのでしょう。
もし私が彼の立場だったら、どうしただろうか。
真っ先に弱音を吐き、誰かに縋ってしまったのではないか。それとも、彼のように静かに運命を受け入れただろうか。答えは出ませんが、彼の強さと孤独を思い、少しだけ胸が締め付けられました。
4 古希の足音と、かすかな「悲しさ」
私も今年でいよいよ七十歳、古希を迎えます。
この年齢になると、心も身体も劇的な変化はないように感じることがあります。
不思議なことに、衰える一方かと思いきや、視力が少し回復したりすることもあります。先日も健康診断で「両目ともよく見えていますね」と驚かれたばかりです。
けれど、もちろん若返っているわけではありません。私たちは一日、また一日と、ゆっくり、確実に、死というゴールに向かって歩みを進めています。
日常のふとした瞬間――例えば、山登りで感じた体力の限界や、昨日まで楽に開けられた瓶の蓋が重く感じたりすること。そんな小さなことで、昨日よりも自分が「衰えた」ことを突きつけられる瞬間があります。
そんな時、私は少しだけ「悲しさ」を感じます。
それは激しい落ち込みでも、深刻な悩みでもありません。ただ、夕暮れ時の影が伸びるように、ほんの一瞬、悲しみが心をよぎるだけです。
もう十年以上、こうした感情の飛沫を浴び続けてきたので、慣れてしまったのかもしれません。
5 枕元の着信、届かなかった声
去年のクリスマスの頃でした。深い眠りの中で、枕元のスマホが震えたような気がしました。翌朝、確認してみると、十年以上連絡をとっていなかったかつての仕事仲間からの着信が残っていました。
「今更、私に何の用だろう?」と首を傾げつつ、気になってショートメールを送ってみました。「お久しぶりです。着信がありました。何かありましたか?」
それから返信もなく十日ほど過ぎた頃、彼の奥様からメールが届きました。
「主人はここ数年、がんの治療を続けておりましたが、先日他界いたしました。スマホの履歴を確認したところ、亡くなる直前にあなた様に発信しておりました。意識がもうろうとする中で、誤って操作してしまったのだと思います。生前のご厚誼に感謝いたします」
その文字を読んだ瞬間、言葉にならないショックが身体に沁み込んでいきました。
今も目を閉じると、病室のベッドで、消えゆく意識の中でスマホを握りしめている彼の姿が浮かびます。
彼は誰に、何を伝えたかったのか。あるいは、ただ懐かしい名前に指が触れただけなのか。「人が死ぬ」とは、一体どういうことなのでしょうか。
そして私は、どんな風にその時を迎えるのでしょうか。
考えても答えの出ないことを考え、胸の下の方がどんよりと重くなる。そんな感覚を抱えるのが、「シニア」という季節なのかもしれません。
けれど、この「どんより」は命を削るような毒ではありません。悲しみを抱えながらも、私たちは日常を過ごします。翌朝、私はいつものように目覚まし時計が鳴る前に目を覚まし、新しい一日を始めます。
それでは、また〜。


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