google.com, pub-5466711727949766, DIRECT, f08c47fec0942fa0 2002年、奈良へ撮影に行きました。-旅するように暮らしたい

2002年、奈良へ撮影に行きました。

2020/10/04

シニア 撮影 奈良

t f B! P L

奈良、新薬師寺、十二神将像


行先は奈良の新薬師寺というお寺でした。撮影チームの主なメンバーはすでにロケハン(下見)に来ていたので、今回で4度目の訪問となります。明日からいよいよチーム全員での本番撮影の日です。撮影チームは全員で20名以上、新幹線組、機材車組に分かれてここに向かってるはずです。私はご住職に撮影前日のご挨拶と確認の打合せをすませてチームの到着を待っていました。

このお寺には国宝の仏像があります。撮影の目的はご本尊の薬師如来と十二神将像です。









この撮影では思い出すことがいくつかあります。

寺の全景を高い所から撮影したかったのですが周囲にそんな建物は無いので、高さ25mの高所作業クレーンを手配しました。上から見た時のあまりの高さに肝を冷やしたことがありました。おかげで監督の満足する映像が撮影できました。天候にも恵まれて外観の撮影は順調に進みました。







いよいよ本堂の仏像を撮影するのですが、昼間は参拝者が訪れるので撮影許可は出ません。お寺から許可が出た撮影時間は、17〜23時でした。そこで我々は昼間は少人数で外部を撮影して、夕方一般参拝者が退出してから撮影準備を始めました。

夜間撮影になるので当然照明が必要になりますがお寺には大容量の電源がありません。そこで移動電源車を用意してスタンバイしました。

発電機のエンジン音がうるさいので30mほど離れてもらい太い電源ケーブルを本堂まで引っぱり照明チームに渡されます。

この本堂の内部は、JR東海のキャンペーンにも使われていますよね。


公式サイトより引用




新薬師寺は天平19年、聖武天皇の病気平癒を祈り光明皇后によって創建されました。創建当初の新薬師寺は非常に大きな仏殿と東西の塔など9つの建物のある大変大きな寺院でした。

ですが平安時代の災害や火災により主なお堂を失いました。唯一残った建物が現在の本堂です。



公式サイトより引用




ご本尊は、国宝 薬師如来坐像。 同じく国宝の十二神将立像は薬師如来像を円陣に取り巻いて薬師如来を護衛しています。十二神将とは薬師如来とそれを信仰する人々を守る大将で、1体が7千人もの部下を率いていると言われています。


この十二神将はほぼ等身大の立像で、最古で最大のものと言われています。またこの立像は塑像(そぞう)という土で造られた彫刻で天平時代に盛んに造られたと言われています。それぞれの神将像はみな激しい怒りを放ち、見る者を圧倒します。



公式サイトより引用






公式サイトより引用



中でも、伐折羅(バザラ)大将はとても強い怒りの表情で知られています。日本の500円切手に採用されているのでご存知の方も多いと思います。この表情の力強さは異次元ですよね。



今の時代にこのパワーを造れるでしょうか?はなはだ疑問ですね。。。





この撮影では、本堂に円形レールを引いて、その上に上下動するカメラクレーンを乗せて移動しながら仏像を撮影する手段をとりました。カメラマンはその上に乗りファインダーを覗きながら指示を出します。



この指示にしたがってカメラ軌道を操作するのがグリップチームです。撮影用の特殊機器を操作するプロ集団がグリップチームです。移動車の動き、カメラの上下動、全てを微調整しながら最終形に追い込んで行きます。



撮影も最終日に近づくとチーム全員の疲労もピークになり、イライラもつのり始めました。するとカメラマンが「こんな時に事故や怪我をするから注意してくれよ!」全員に聞こえるように言いました。



またグリップチームのチーフに向かって「国宝仏像のドミノ倒しだけは勘弁しろよな!」と笑えない冗談を言いました。しかし、この一言でチーム全員の緊張が良い意味で戻り、気力と体力がもう一度蘇ったように感じました。カメラマン氏、さすがベテランです!



撮影も無事に終わり撤収作業をしていました。私はこの撮影のMVPはグリップチームのチーフだと思っていました。



チーフは片付けながらカメラマンと話していました。私は後ろから二人を見ていました。カメラマンの「お疲れさん」の声に答えた後、彼は腰が抜けたように地面に座り込みました。たぶん体力の限界近くまで頑張ってくれたんだと思います。



私は「ずいぶん無理をさせてしまったな〜」と深く反省し、また彼に感謝もしました。


彼の座りこんだ後姿を見ていたら、私も目頭が熱くなりました。




新薬師寺、十二神将、色再現プロジェクト



私達の撮影とは別にもう一つの計画が同時に進行していました。それは十二神将立像の彩色の再現です。

天平19年(西暦747年)、1270年以上前に造られた当時の彩色の再現です。現在の外観は白もしくはグレーの立像で、天平時代当時の色は想像することも出来ません。いったいどんな彩色がなされていたのでしょうか?





公式サイトより引用



その第一段階としては、十二神将立像の実物をレーザー計測してその3次元データを採取するというものでした。さらに3Dのコンピュータグラフィックスで画像再現を行い3Dモデルを制作する。そして最終的に天平時代に造られた当時の色を再現しようとするものでした。







今から1270年以上前の色を再現しようというのですから、様々な文献から当時の色彩のセオリーやトレンドが検討されていました。そのために撮影のかなり前から東京藝術大学の監修・協力を得て色彩の検証が進められていました。

奈良撮影から東京に戻って数日後、80%程度の彩色が出来上がったという連絡をもらい早速見せてもらうことになりました。その時の感想を一言で云うならば「派手だな〜!」でした。











それはまったく想像していなかった極彩色の世界でした。天平の昔にこんな沢山の原色が使われていたことは驚きです。その根拠についてですが、各立像の表面をつぶさに観察したところ、ほんの僅かに色の成分が残っていたそうです。そこから全体の色成分を再度配置しなおしたそうです。

その当時としては最先端のスーパーアーティスト達が精魂込めて作り上げたものと考えればこの極彩色も少しは納得できたような気がしました。



公式サイトより引用



再現された色彩の伐折羅(バザラ)大将は、JR東海のキャンペーンポスターにも使われました。

大変なこともありましたが、とても印象的な仕事でしたね。。。



それでは、また~。












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2022年現在、65歳のシニア世代の自分が感じたことを発信したいと思ったのが出発点です。やってみて良かったこと。買ってよかった物。試してみたら意外と楽しい事、また得したこと等を記録していこうと思います。

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